目の前に男。 後ろは壁。 おかーさん、アナタの娘はピンチです。
ROUND 1. 『転校生、現る』 3
予想外の言葉に顔を上げれば、自分を取り巻く状況が更に予想外の展開になっていることに気がついた。 「……え?」 それはもぅ、不覚にも一瞬素が出てしまったくらいに。 だってそうでしょ? 机4つ分は離れてた転校生クンとの距離が、いつの間にやら足3歩分ですよ? 3歩分! そんなに近くまで来てるとは思わないでしょーが、いくらなんでも! ……って、今はモノローグ飛ばしてる場合じゃないしっ!! 「えっと……」 じりり、と効果音でもつきそうな雰囲気で後退するあたし。 けれど、その甲斐もなく、目の前の転校生クンは同じだけ距離を詰め……って詰めなくていーから! 「ヒドイなぁ〜? まーだ気づかないワケ?」 意味不明な言葉と共にその顔に浮かんだのは、さっきまでとは明らかに種類の違う、笑み。それこそ、ニヤリという表現がピッタリの。 あぁ、やっぱり世の中天然モテ男なんていないのね! ちょっと前のあたしのトキメキを返せ! 「えっと、よく話がわからないんだけど……?」 塗り固められた外ヅラは、まだ微笑みを保ってる。コイツの目的が何にせよ、『怪訝そうな表情』にしか見えないハズ。 それにしても、何でこんな展開に…… 「とぼけてんの? それとももう忘れちゃったって? ……まさか、本当に気づいてないとかないよね〜?」 とぼける? 忘れる? 気づいてない?? つーかあたしはアンタの名前すら知らないっつーの! これじゃまるで、どこかで…… そこまで考えて、あたしの脳ミソは、ひとつの可能性を導きだす。 ………………。 はは、あはは。いやいや、そんなまさか。 「にしても、うまーく化けてるみたいじゃん? ウサギ小屋に閉じ込められてた『赤ちゃん』が、今じゃ完全無欠の優等生だもんなー」 ピシィイイイイッ! ──直後、あたしの脳は完っ全に凍りついた。 赤ちゃん……ウサギ小屋…… するすると、記憶のヒモが解かれていく。 間違いない。コイツ、昔の『あたし』を知っている! 最っ悪だ。よりにもよって同じ学校? 同じクラス? ……神サマ。 あたしが一体何をしたっっ!? 「あれ? だんまり?」 考えを読まれたくなくて俯いてるから、その表情まではわからないけど。 「無言は何よりも雄弁な肯定、ってね」 声が、笑ってる。 ──ふん、上等じゃないの。 フリーズしていた脳ミソも、どうやらようやく運転再開。 磨き上げられた外ヅラ、プラス、俯いていたことで、表面上にそれほど動揺は出てないハズ! 未だ本調子でない頭に活を入れ、冷静さをどーにか取り戻す。 だいじょーぶ。アンタは誰? あたし? あたしはあの頃の『あたし』じゃない。 あたしは、『逢沢香月』。 校内で知らない人間なんていない、『本郷のクールビューティー』よっ! 今まで努力と演技力で積み上げてきたこの地位を、ワケわかんない転校生ごときにぷち壊されてたまるか! 「……アイザワさん?」 こっそりとひとつため息をつき、今まで逸らし続けていたその目にひたりと目をあわす。 勝負、開始っ!! 「よく、わからないんだけど……」 困惑の声音(モチロン演技)を響かせて、あたしは彼を見つめる。 「たぶん、誰かと勘違いしてるんじゃない? わたし、そんなふうに呼ばれたことないし、あなたと会うのも今日が初めてでしょ?」 人好きのするいつもの微笑『女神スマイル』を駆使し、尚且つ眉尻をやや下げることによって困っていることを更にアピール。 あたしの言葉に、転校生は一瞬面食らった顔をしたが、すぐにまた例の微笑を浮かべた。 「ふぅ〜ん? ……そ〜いう嘘つくワケだ?」 そう言って彼は一歩近づく。 ウソじゃないわよっ! あたしはアンタがどこの誰だかさっぱり知らないっての! 内心そう叫びながらも、表情は崩さず一歩身を引くあたし。 『赤ちゃん』とも呼ばれてたコトはありますよ、えぇありますとも。小学校時代、イヤというほど呼ばれてましたよ! ウサギ小屋だって、何回ぶち込まれたことか! タイムスリップできたらあの頃の連中全員問答無用でフクロにしてるわ! 「ねー、もしかして」 カタン、と、机が小さく音を立てる。転校生の足が、ぶつかったせいだ。 そんなことには気づいていないような素振りで、彼はまた一歩、距離を消す。 「オレの名前、聞いてなかったんじゃない?」 ギクッ 背筋を、俗に言う『冷たい汗』とやらが流れていくのを感じた。 ──あたしは、観念した。 「うん、ゴメンね? ちょっと、考え事してたら聞きそびれちゃってそのまま……」 そういい濁しながら、一歩下がるのも忘れない。 本当なら自然な流れで名前聞こうと思ってたけど。止むを得ない。 今は何よりも、目の前の敵(既にこの転校生は敵よ、敵!!)の目的を見極めて、舌先三寸でちょろまかすのみ!! でも。本音を言えば。 言ってやりたい! 『アンタの名前なんぞ、理想の転校生像を熱く語っていたせいですっかりスルーだったよ、アハハ』って言って鼻で笑ってやりたい! でもどんな状況下だろーと、『逢沢香月』はそんなコトするわけにはいかないのよ! 「な〜るほど? どーりで」 あたしの台詞に、彼は口元を更に歪ませた。 うっわ、ナニコレ、別人だよ。てか詐欺だろ詐欺。ウチのよりもタチ悪いわ。 あの爽やかスマイルは既に夢の彼方、向けられるのは邪悪としか形容の仕様がない、どこか弟を彷彿とさせなくもない、そんな笑み。 「なら、改めて自己紹介と参りましょうか」 近づいてくる、その男。 あたしは、もうほとんど脊椎反射のように後ろへ下がった。 そして、気づく。 既に、退路はないことに。 「本郷高校2年F組、岩代泰真[タイシン]」 表情を変えぬまま、容赦なく距離を埋めてくる彼。 イワシロ、なんて奴、あたしは知らない。 でも、もう会うことがないからって、あの頃の同級生の名前を忘れるようなヘマ、今のあたしがするワケない。 なら、コイツは!? 「まだ、わかんない? なら、『元永』泰真ならどーよ?」 トン、と体の脇に手をつかれても尚。 あたしは、微動だにしなかった。 『元永泰真』 最悪すぎる偶然。 最悪すぎる再会。 最悪すぎる現実に、あたしの脳ミソは完っ全に活動を停止していた。 |