「ここだ」 有無を言わさずに連れてこられた宮殿は、少女の想像とは些か違ったものだった。 黒を基調とした宮殿は、過度な装飾はなく、シンプルながら質の良いものでまとめられていた。 別名を黒狼宮と称されるその由来は、シリウス宮という正式名はもちろんながら、この宮殿の見た目が与える研ぎ澄まされた印象も大きいのだろう。 そう、この宮殿は、まるで凛々しく立つ美しい獣のようだった。 「ここが今日から姫の部屋だ」 「……」 辺りを見回していた少女にちらりと視線をむけ、皇子はさっさと中へ進んでいく。 少女は置いていかれぬよう、足速に皇子の後を追った。 扉の奥、開けた視界に飛び込んできたのは、やわらかな光。 部屋の左側はすべて窓となっており、外から暖かな光が差し込んでいた。 面した庭には小さな噴水があり、サークル状に詰まれた煉瓦には、小鳥が二羽、飛び跳ねていた。 思わず立ち止った少女は、その光景に無意識に目元を緩ませていた。 カツン。 静やかな空間に響く、硬質な音。 ハッと我に返った彼女は、視線を戻し前を見やる。 すると、歩を止めこちらに向き直った皇子の物言わぬ視線とぶつかった。 無言のひと時。 皇子がふと絡んだ視線を断ち切るように瞼を閉じると、そのまま何も言わず身を翻した。 素顔をさらした気まずさを抱えながら、少女は再び彼の後をついていく。 「ここが寝室。食事は先程の部屋に運ばせる。ここにある物は好きにしていい。足りない物は言ってくれ。すぐに用意させる」 「……」 男の言葉に、少女は辺りを見回していた視線を戻し、ひたりと男の朱金の眼に合わせた。 真っすぐに見つめてくるその瞳は、男の瞳の奥に潜む思惑を読み取ろうとしているかのようだった。 「何か聞きたいことがあるならきちんと聞け。探るような瞳つきで見られるのは不愉快だ」 「……」 「その口は何のためにある。話せないわけではあるまい」 「……!」 男の言葉に一瞬目を見開いた少女。 だがすぐに、その視線から逃れるように少女は顔をそむけた。 しかし、白磁の陶器にも似たその顔は皇子のすらりと伸びた指によって掴み上げられてしまう。 「っ!」 途端に抵抗をする少女。 だが、その細い指では男の指を剥がすことはできなかった。 『俯くのはやめろ』 「!」 聞きなれぬ声で紡がれる、聞きなれた言語。 『俯いていては、見えるものも見えなくなる』 『……話せるのか?』 紅を差した小さな唇が、かすかに動く。 皇子はフン、と鼻を鳴らす。 『少しはな』 だがその響きは、暁の民にも劣らぬほどに澄んだものだった。 『それに』 鋭さを秘めた緋の眼が、少女の瞳を真っ直ぐ射抜く。 「姫君も、ダスクの言語をわかっているだろう? 少なくとも、話している内容くらいは」 「!!」 わずかに息を呑む、その仕草が言葉よりも雄弁に事実を語っていた。 ふっと、手の力が緩まり顎にかけられた指がそっと離れる。 「それならば、変な意地など張らずに積極的に話せ。会話が何よりも言葉を上達させる」 「……」 「それに」 するり、と彼の親指が少女の下唇を撫でる。 びくり、と身体を震わせながらも、少女はその場を動くことができなかった。 「お前の声をもっと聞きたい」 「……っ!」 ぎりっと、眉をひそめ怒りを秘めた目で皇子を睨みつける姫。 だがそんなもの気にも留めていないように、皇子は不敵な笑みを浮かべていた。 「どうした? 話さないならいつまでもこのままだが?」 「……お離し下さい。ウォーバード殿下」 鈴のような声音が紡いだ言葉は、ぎこちなかったが確かな意志を伝えた。 するり、と彼は少女の頬をひと撫でし、名残を惜しむようにその指先を引き離す。 『二度と触れるな』 すぐさま距離を取り、姫は射殺さんばかりの敵意の眼差しを隠そうともせずに皇子にぶつけた。 その様子に、皇子はさも愉快そうにふっと口元を緩めた。 それは、姫が初めて見た、ウォーバードの笑みだった。 美しく気高き獣 |