さて。えらく脱線しちまったね。一体どこまで話したっけか?
あぁ、そうだったそうだった。
玉を買うところだったね。
洋二郎の諌める言葉も、所詮は口先ばっかりさ。
清一郎も、それがわかっていたんだろうね。うんともすんとも言いやしない。
只でさえ、奇人だ何だと言われちゃいるが、そこは名のある人形師。
普段は身なりも気に留めないが、人形作りに関してだけは、てこでも己を曲げやしない。
まして今度は、肝心要の洋二郎さえ硝子玉が欲しいときてる。
清一郎とて兄なんだ。弟の心のうちが見えていないわけがない。
どんな言葉をかけたところで、上辺をなぞるだけだったのさ。
しかしどうだい、その商人。
あろうことか、たった一言突っぱねやがった。



「お売りすることはできません」



これだけさ。
これには洋二郎も驚いた。
言い値は無理だと思いはしたが、洋二郎とて、暮らしを切り詰め払える額なら買いうけようと思ってたのさ。
それをまぁ、ふっかけるならいざ知らず、額も言わずに突っぱねるとはさすがに思いもしなかった。
それでもね。
清一郎の驚きは洋二郎の比じゃぁなかった。
清一郎は本当に、心の底から言い値で買おうとしてたのさ。
口先だけじゃぁもちろんない。
稼ぎで賄えないってんなら、家も着物も何もかも、値のつくもんならあらゆるものを売っ払おうと思ってた。
それがまさかのお断りさ。納得できるわけがない。



「何故売らぬ。口先だけのでまかせを申していると思ったか!」



烈火のごとく、とは誰が言ったか、全くできた表現さ。
目尻吊り上げ尖った声で唾吐きかけて男に詰め寄るその様は、修羅や羅刹と見まごうばかりの、烈火のごとき激しさだった。
確かに、商売物には一際厳しい清太郎だが、それだって、使えん、くだらん、その両の目は節穴か、と言った具合に、身も蓋もなく切り捨てられるが常だった。
そんな男が、これほどまでに怒りを露にしたんだからね。
そりゃあそりゃあ洋二郎こそ肝を冷やしたことだろう。
何よりも、その鬼気迫る表情は、それこそさっき話した画家の話じゃないけどね、その商人を殺してだって奪いかねない勢いだったと言うんだから、手に負えないさ。
それでもね。
当の商人、顔色ひとつ、声色ひとつ変えることなく、けろりとしたもんだった。
それもその筈。お前さん、その商人、何て言ったと思うかね?



「金子は不要。これは貴方にお譲りします」



そう言いやがったのさ! 
全く、紛らわしいことこの上ない。だったら最初から言えってぇのさ。
まぁそりゃね、早とちりして大声出したのはこっちのほうさ。
それでもね、最初に売れないって言われちゃさ、手に入らないと思うだろ?
あぁいけない。
ここで愚痴をこぼしたところで脱線するのがおちってもんだ。
話を先に進めるよ。
その商人の言い分はこうさ。
もとを辿ればその硝子玉、異国から来た品物で、やけに不思議な色味を見せる。
これは一先ず売らずに手前で持ち帰り、ちょいと様子を見てみよう。
そう考えていたんだと。
だがしかし、この町に来て、やたらと背筋がざわつきやがる。
そこで気になり話を聞けば、その筋では名の知れた、さる人形師がいるという。
これも縁かとふらりと寄れば、どうしたものか、そこの主人がじぃっと籠を見てくるじゃないか。
言いも出しもしなかった、紫暗の玉が見えてるようにね。
これはもう、導かれたに違いない。
そう感じたと言うんだよ。
商売人なら誰でもわかる。
言葉にゃなかなかできないが、こう稀に、互いの声を聞き合うように、持つべき人へと物を運ぶことがある、とね。
今度もそれに違いない。
そちらの旦那は、この玉の声を聞き届けたことだろう。
なればこそ、金など頂くわけにはいかぬ。どうぞこのまま、お納めを。
その商人は言うが早いか広げた包みをまとめ上げ、清一郎に手渡したのさ。
清一郎は大喜びだ。
ちょいと前の鬼をも射殺す形相はどこへやら。
包みの玉を一瞥すると、礼もそこそこ、さっさと離れに引っ込みやがった。
まったく、まさに奇人だよ。
洋二郎の普段の苦労が、まざまざと目に見えるようさ。
もちろん洋二郎はそうはいかない。
何度も何度も、そりゃ丁寧に頭を下げると、さしあたりまだ事足りている品物までも、随分買い込んだんだとさ。
まぁこれもね、洋二郎の性っていうのもあるけどさ。
金子払って買ったと思えば、それでも安い買い物だ。
恐らくは、そう考えてのことなんだろう。
さて。
一通りの売り買いが済み、そろそろお暇しましょうか、という時だ。
戸口の前で、その商人は一言残して去ってった。



「物の声が聞こえるお人は、物の力に呑まれやすい」
「どうかどうかそれだけは、忘れないでくんなまし」


洋二郎は。
この言葉、死ぬまで忘れはしなかった。
忘れられなくなったってぇのが、ほんとのところだったろうがね。



どういうことかって? 



まぁ、そんなに先を急ぐこともないだろう? 
ほら、話に夢中なのは嬉しいけどね。手元がすっかりお留守じゃないか。
で、あんたのほうはどこまで描けたんだい? 
おやおや、何だい、そんなに慌てて隠さなくてもいいだろう? 
何? 完成するまで見せたくない? 
まったく、ケチだねぇ。ちょいと見るくらいいいじゃないか。
え? 紫苑の他の名前?
また随分といきなりだねぇ。
まぁいい。
そこまで見せたくないってんなら、はぐらかされてやろうじゃないか。
他の名前、他の名前……。はて、知らないねぇ。
この辺りでは、紫草とも言うけれど、そういうんじゃないんだろう? 
お、何だい何だい、やけに嬉しそうな顔しやがって。
ははは、わかったわかった。
それじゃぁこの学のない婆さんに、他の名前ってのを教えてくんなよ。
ふぅん、「オニノシコクサ」ねぇ。どういう字だい。
……ふんふん、成程。「鬼の醜草」ね。
しっかし、細い花びらひっさげた何てことない花だってのに、随分物騒な名前がついてるもんだねぇ。
うん? 違う? 
何が違うのさ。
……ふぅん。つまり何かい、「鬼の醜草」ってぇ名前は、親を想う子供の心に、鬼が感動したってことから来てんのかい。
それが由来だってんなら、そうだね確かに怖かない。
いやむしろ、字面の割にゃぁいい名じゃないか。
に、してもねぇ。
弟が、亡くした親を忘れぬよう、思い草を供え続けて、鬼が感じ入ったのか。
かの人も、ここに広がる紫苑を見たら、少しは慰められるかねぇ。
うん? 
あぁ、いや、さっきの話の続きだよ。
結末、とでも言えばいいのか。
だからそんなに急かすでないよ。どうせ時間はあるんだろう?
この峠の、紫苑もね。さる人を思って咲いてる花なのさ。







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10.04.17


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